高難度コンテンツと世界観
やっはろラリホー
世界観考察好きのチスイです
さてここ最近連続して投稿しているようにボクは世界観、及び世界観考察が大好きなわけなんですが、少し前にTwitterを何気なく眺めていたら興味深いフォーラムへの投稿を見かけました
タイトル通り、フォーラムの内容は高難度コンテンツの仕様の違いについてという内容になっています
そこで今回はその投稿を元にボクなりの意見をまとめて紹介しておこうと思います。世界観考察系記事では恒例ではありますがネタバレありの内容になるのでご容赦ください
※初めに記載しておきますが、今回の記事の目的にフォーラムの該当投稿を批判する/晒し上げるような意図はありません。ご理解ください
今回の記事の引用先
今回の記事を執筆するに当たって、前提となるフォーラムの投稿を紹介しておきます
端的に言ってしまえば、極以上の高難度コンテンツにおいて、Nと極またはレイドコンテンツのNと零式において戦闘の内容が異なるのをやめてほしいという意見ですね
極以上のコンテンツに行った事のある人なら分かると思いますが、FF14では高難度コンテンツになると戦闘内容、相手の行動のタイムラインが変わっていきます
そして大抵の場合、極、零式の方が強くなっているのと同時に演出も派手になっているのが特徴ですよね?
これを辞めてほしい、演出は一緒で数字のバランスだけを変更し、強さの強弱を取ってほしいという話ですね
理由や改善案などもご提案されているのですが、ここでは本題とは外れるので一旦省略させていただきます。気になる方はぜひ該当フォーラムを御覧ください
投稿についていた意見要約
この投稿について何人もの方が反応を示していたのでそちらも合わせて紹介しておきます
・世界観の観点からの意見として「極・零式」は異邦の詩人やヒカセンの記憶などによって脚色された盛った話であり、実際とは異なるから気にしなくても良いのでは?という意見(世界観の事実としてはNの解釈で終わっていいという意見)
・高難度コンテンツを挑む人への報酬的な側面もあるのでは?という意見
・攻略組こそ演出は短い方が良いという意見
などが見受けられました
世界観考察好きとしての意見
ここからがボクの意見になるのですがまず世界観考察好きとしては「とても分かる」と言いたいですね!
大前提としてボクは、紅蓮以降まともに高難度コンテンツの入り口でもある極にも挑んでいないミッドコア勢を続けている(一部の極には挑戦してますがそれもかなりILが上がった後だったりします)というプレイヤーなのですがやはり零式などで大きく演出が変わっているのには思う所があったりします
特に感じたのは「次元の狭間オメガ:アルファ編零式4層(ハローワールド)」と「希望の園エデン共鳴編零式4層(フレースヴェルグリーン)」ですかね
当然(?)ボクは零式には挑戦していないので演出などは知らなかったわけなんですが、実装からしばらく、次のパッチが実装されると運営/開発や外部のゲーム系記事(4gamer等)などでも画像が公開されたりするわけですよ!
(この記事を書いている直近に行われた2021のデジタルファンフェスでもまさにこの「次元の狭間オメガ:アルファ編零式4層」に触れていましたしね)
ストーリーライン的にも非常にエモい展開ですし、これを零式に挑戦しないと見る事が出来ないというのは確かに悔しいと感じるのは間違いないんですよね
元々世界観好きというプレイヤーは他の人よりあれこれ考察(という名の妄想)をしているだけに流れの中で見れたらその時の情緒はヤバかったんだろうなぁと思う次第です
FF14というゲームを考えた時の意見
ただここで1つ踏みとどまってみます。投稿の意見の1つにあったように「難しいコンテンツの方が演出が激しいのは報酬的な側面もあるのでは?」という意見。これは真っ当な意見だと思うんですよね
FF14は本当に懐が深いゲームだけに色々なプレイヤーが混在していてだからこそどんどん挑戦が出来るタイトルだとも思うわけです
良くない言い方をすれば世界観好きだけに焦点を当てた場合、プレイ人口が減って結果様々な挑戦、深い演出などもできなくなるのではないかとも思うんですよね
FF14の世界は壮大で雄大です。そしてまだまだ語られていない部分、世界観考察好きがぜひ知りたいと思っている部分も多いです
この記事を執筆している時点で発表されている段階でまだ未実装の「シャーレアン」や「サベネア(ラザハン)」などは楽しみにしていたという人も多いのではないでしょうか?ボクもその1人です
これらを実装出来るのも多数の様々なプレイヤーがいるからです。もしFF14が新生しても人気を取り戻す事が出来なければ漆黒で描かれた「アシエンとはどういう存在なのか」というのも中途半端に分からないままで終わっていた可能性だってあったんですよね
だからこそボク個人の意見としては今回の意見に対し「とても分かる、が意見としてはそこまでやってしまうのは反対かな?」というスタンスになります
やっぱり戦闘を楽しんでいる人にとってはそこが重要だったりしますし、FF14はストリーミングにも寛容なのでもしどうしても気になるのであれば自分でプレイをする以外の方法でも演出を見る方法はありますしね
開発の大前提の話
ここからは少し補足的なお話になりますが、広める意味でも書き記しておきます
これまでのPLL(プロデューサーレターライブ)や開発パネルなどでも明かされていますが、FF14のコンテンツを作る際は基本的に「高難度→N」という順で作っています
構成上は「Nから盛ったのが高難度」という構成になっていますが、実情は「高難度から色々削ったのがN」なのです
なので今回の意見の改善案である「演出を抜かずに数字調整のみで難易度調整をする」という事自体は不可能ではないでしょう。少し前のパッチで不可視攻撃をしていたオーラムヴェイルの2ボス、コインカウンターの攻撃が可視になったように、高難度だと不可視の攻撃がNだと予兆が出て可視出来るという事も出来ます(実際にやってますしね)
演出盛々で作ったものから色々省く作業をして調整しているのが現状のNという事ですね
過去にもあった!?バハムートと制限解除
これはフォーラム投稿のコメントでも触れている方がいましたが、現状のNと零式に分かれている状況というのも過去にフォーラムに多く寄せられた意見から作られたものだったりします
時代は新生時代、当時のレイドコンテンツである「大迷宮バハムート」にはNも零式もありませんでした。そして難易度は今で言う所の零式にあたるコンテンツです
大迷宮バハムートをやった事のある人なら分かると思いますが、そのストーリーはかなりメインに関連する話(むしろ何故メインでやらないのかと言われるレベル)だった為、当時のプレイヤーからもかなりの声が上がったんですよね(ボク自身は蒼天からのプレイヤーなので聞いた話ですが)
そこで蒼天のイシュガルド(3.0)実装時に追加されたのが高難度コンテンツをストーリーを見る為の「ノーマル」と高難度コンテンツの「零式」に分けるという施策が行われ、そして制限解除が実装される事になったんですよね。これにより大迷宮バハムートは大きく緩和され、レベルが80まで解放された漆黒現在、当時大きな壁になっていたとされる階層ですら4人もいればクリア出来てしまう程に緩和されています
これを最新のコンテンツで最初から見たいよ!というのが今回の主題だとは思うのですが、過去にはそもそも見れない時代もあったという事も紹介しておきます
今の零式は相対的に難易度が下がっている?蒼天レイドと絶コンテンツ
さらに加えると現在の極・零式は難易度が大きく下がっていると言われています。というのも蒼天の極や零式は「ギミック偏重」時代と言われていて、1つのギミックを誰か1人がミスするとそのまま全滅、或いは全滅はしないまでも確実にダメージが足らなくなるというのが当たり前の時代だったんですよね
その結果、当時最高難易度だった零式は4層クリア者が2桁しかいない(公式情報)という事態に陥ります。そこで蒼天最終盤から紅蓮にかけて、ギミックを重視したコンテンツでは必要ダメージを大きく下げる、或いは特定箇所でダメージを集中出来る場面があるなどといった方向に転換される事になります
しかしそうなるとクリア者は増える反面、「零式(=最高難易度)なんだからもっと難しくしてほしい」という声が生まれました。そういった声に対応するべく生まれたのがいわゆる「絶コンテンツ」になるんですよね
絶コンテンツという1つの天井が解放された事で零式で必ずしも難易度の高いものを実装する必要性も下がり、相対的に難易度が下がったとも言われています
端的に言ってしまえば(今回のフォーラムの投稿程ではないにせよ)これまでも開発サイドでもプレイヤーの声に答える形で様々な施策を行い、レイドコンテンツなどにも参加しやすい環境が構築されてきて今に至るという事ですね
本当に洗礼が進んでいるFF14という巨大コンテンツ
今回の投稿、世界観考察好きとしては本当に、理解出来てしまう内容だけに思わず記事にしてしまったわけなんですが、改めてFF14の歴史を考えるとそういった声にも出来る限り歩み寄っているのがFF14なんですよね
この手の意見ってどうしても絶対に様々な視点からの声が出てしまうだけに正解ってないと思うんですが、それでも限りなく正解に近い答えを出し続けているのがFF14なんじゃないかと思うんですよね
世界観考察好きとしては色々な情報がほしいというのが大前提にあるのでまずは「FF14が続く事」が大事だったりするのでこれからも必要に応じた緩和なんどはしつつも続いてほしいと思う次第なのでした
というわけで今回はここまで!
ではではーっ
アジントタ(良き夜を)