職人の冒険秘話~表裏邂逅~

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物心が付いた時には逃げていた。
何から、なんだろう。それも分からずにただただ父と母に手を引かれ逃げていた。
行く先々で冷たい目線を浴び、石を受けた。
それでも身が削れる事は無かった。初めは父が、次は母がその身を犠牲にしてくれたから。
戦火が広がればまた逃げる日々。留まった記憶よりも移動する日々の方が長かった。
そんな逃げ回るだけの父母は当地で戦おうとする物からすれば厄介者だった。その目立つ容姿もあったのかもしれない。
元いた場所ではこの角を持つ種族は珍しく無かったらしい。でも一歩外に出たらその姿を見る機会は少なくなったと聞いた。現に私は両親以外に同じ種族の人と会った事が無かった。角を合わせた相手も両親以外にはいない。
そんな移動に移動を重ねる日々は徐々に身を削っていく。私の手を掴む手はやがて1つになり、無くなった。
それでも私には逃げる事を辞められなかった。それしか知らなかったから。
両親からは色々な事を学んだ。両手の短刀で戦う術も父から教わった。それでもその教わる事の目的は「逃げる」事一点に尽きる。
むしろ「逃げる」事だけに集中したからこそ、私はここまで生きてこられたのかも知れないとさえ思う。

「どこ行きやがったっっ!!!」
男の怒声に虚構にあった意識を現実に戻す。その背中を薄暗い建物に預け闇に溶け込む。
今までもこうしてやり過ごしてきた。これが私の生きる術。
息を潜め男達の姿が無くなるのを待ちながら男達が私を追う理由のブツにありつく。
小動物の肉を最低限の調味料で味付けして焼いただけの安物の肉。量にすれば僅かだけど無いよりはマシ。出来るだけ音を立てないように肉を噛みちぎり空腹を満たす。
これが良くない事だという事は知っている。それでも私にはこうするしかない。生きる為。生きなければいけない。それが自らの身を削った父や母へのせめてもの恩義。
「ここに居た」
咄嗟に耳に届いた声に再び虚構に潜りかけていた意識が一気に引き戻される。私は思わず短刀に手を伸ばしかけてその手を止めた。既に首元には獲物だろう杖の先端が向けられていた。全く気配を感じさせない動きはこれまでに私を追いかけてきたような相手とは全然違った。
「動かないで。動かなければ何もしないから」
ここまでされては流石に逃げられない。
死を隣に感じた事がないわけではない。それでも今回のソレは今までのそれよりも圧倒的に静かだった。先程まで思い描いていた父母への恩義から簡単に手を放してしまった。
しかしその状況はすぐに好転する。
杖の主はそのまま私を見回したかと思うとなんと杖を引いた。
一体何故?
そんな思考が頭を過りながらもすぐに打ち消す。杖が引かれた事で死線は無くなった。杖の主がその杖を背負うようにして自らの身体の後ろに回す。あそこからどれだけ早く杖を構え直したとしても私の方が早い。
認識してからの行動は速かった。父から教わった秘術の1つを使う。辺りを煙が包み、視界を奪う。もちろん私自身の視界も奪われるけどこんな状況には慣れっこだ。相手の視界が戻る前にこの場を離脱すれば良い。
そう思っての行動だったのだが、実際にはそうはならなかった。元々この煙は一時的な物でしかない。煙は風に流されて少しすれば跡形も無くなってしまう。
煙が無くなった時、私はまだその場にいた。いや、動けなかった。
杖の主にとっては不意だったはずの煙にも関わらず杖の主は動こうとした私の腕を正確に掴んできた。そのまま私の腕を掴み続けたまま煙が晴れるまで動こうとしなかった。結果私も動けなかった。
「驚いたなぁ。煙を目潰しに使うなんて初めてだよ」
杖の主はそんな風に言うが驚いたのは私の方である。突然視界を奪われた中で正確に私の腕を掴んできたという事実は再び私を死線に引きずり込んだ。
私に出来る精一杯は杖の主を睨みつける事だけである。
「悪いけど逃がすわけにはいかないんだ。大人しく付いてきてくれるかな?」
杖の主の声は既に落ち着いた物に戻り私に促す。口調こそ厳しさとは縁遠いが私には従う以外の道はなく小さく頷いた。
杖の主は私の頷きに頷き返して腕を放す。放されたはずなのに全く逃げられる気はしなかった。
杖の主は私を導くようにして歩きだし私はそれに続く。

背中に背負った長い杖に絡むように揺れる赤の髪。先端の方だけ白くなったその赤髪を恨めしげに見つめる。
連れて行かれたのは先程私が安い肉を盗った商店だ。
「おぉ!!コソドロを捕らえていただけましたか!」
間抜けな店主が歓喜の声を上げて出迎える。傍には先に戻っていたのだろう最初に私を追いかけ怒声を上げていた男もいた。
「うちのもんが役に立たず申し訳ない。お陰で助かりましたぞ!」
「これで依頼は終わりかな。報酬だけど」
「もちろんです。冒険者ギルドを通してしっかりと」
間抜けな店主と杖の主の話を黙って聞く事しか出来ない私。何より不快なのは間抜けな店主の後ろに控えている男達の物珍しそうな目だ。あの目を私は知っている。ゲスの目だ。今頃、頭の中ではゲスい妄想でもしているのだろう。気持ち悪い目だ。
「報酬なんだけど、ちょっと追加でお願いしていいかな?」
「追加、ですか?」
「これ、盗まれた物の代金も合わせて払うからこの事を無かった事にしてほしいんだ」
杖の主からの提案に渋い声をだした間抜けな店主だったが杖の主が懐から出した小袋に目の色を変えた。実際の代金は知らないがあんな肉の代金と思えば私から見ても明らかに過剰な量だと分かる。それでも間抜けな店主はその中を確認して口角を上げた。
「これだけいただけるなら私は構いませんが」
「ありがとう。じゃあまた何かあれば。…………あ、後そうだ。そこの護衛さん」
一端話を切り上げ私の方を方に身体を向けた杖の主は間抜けな店主の方を振り返って声を上げる。声をかけたのは間抜けな店主ではなくその後ろに控える護衛だ。
「その笑み、女性に向けていい笑みじゃない。不愉快だよ」
言われた男がハッとした表情を見せる。その時の杖の主の声質は私に向けたこれまでのどの言葉よりも、店主と話していた時の口調よりも冷たく鋭いものだった。間抜けな店主も男の方が男を見ている間に杖の主はさっさと男に背を向けて私の方に歩み寄ってきた。
「待たせたね。いこうか」
杖の主はそう言って私を追い越して足を動かし続ける。私はどこかに心地よさを感じながら杖の主の後ろに続いた。

杖の主に連れて行かれたのは宿屋らしき場所だった。両親がいた頃には何度か利用した事がある。闇夜を照らす僅かばかりの光、視界を遮る薄く背の低い仕切り。記憶の彼方で見たきおくのある物がいくつかある。
杖の主、チスイと名乗ったその女性は私と共にこの部屋に来ると着込んでいた服を着替えここで待っているようにと言って部屋から出ていってしまった。
今なら簡単に逃げだす事が出来る。手枷など動きの妨げになる物を付けられているわけでもないし短刀が取られたわけでもない。チスイはもちろん、私以外に部屋には誰もいない。闇夜が逃げるのを助けてくれる事も分かっている。今以上に逃げだす好機はない。これまでの経験でそれは十分に理解している。
でも私は逃げ出そうとしていない。それが私自身不思議でたまらなかった。これまでの私ならこんな事を考える前に既に逃げ出している場面でそうしない私に私自身が驚いていた。
今頃、誰かを呼びに行っている?私を引き渡す準備をしている?それとも……
これまでにされた、されかけた経験から色々な推測をする。結果はどれも嫌な記憶でしかないのにやっぱり私の身体はここから逃げ出そうとしない。過去にも何度か同じようにしてその先にあった出来事はどれも悲惨だった事も思い出すのに身体が動かなかった。

結局私はチスイが戻って来るまで動けないまま過ごした。

「おまたせ。無理言っちゃったから時間かかっちゃってごめんね」
戻ってきたチスイが連れてきたのは屈強な男でもギルを持っていそうな男でも無く、強烈な匂いだった。チスイが部屋の扉を開いた途端に部屋に充満する匂い。その匂いを放つ正体をチスイはテーブルの上に並べた。
「お腹、空いてるでしょう?口に合うか分からないけど」
チスイが持ってきた料理の数々。その匂いは私の胃袋を鷲掴みして私の身体をテーブルの前の椅子に導く。
正直空腹には慣れている。三日三晩何も食べなかった経験も1度や2度じゃない。その上今日はお肉も食べたから空腹具合でいえば全然大した事はない。
加えていえば料理に身体を動かなくするような物を仕込んでいる可能性もある。実際に以前、同じように分け与えてもらった食事に手をつけて大変な目にあった事もあった。
でもそんな事は関係無かった。私は生まれて始めて生きる為ではなく純粋に食べてみたいという思いを抱えていた。
私はテーブルについて少しの間料理を見つめた後チスイを見上げる。チスイが笑みを浮かべて大きく頷くのを確認すると私はそれらの料理に手をつけた。
食べ方なんてよく分からない。ただただそれらの料理を口の中に放り込んでいく。あまりに急ぎすぎて口にいっぱいに放り込み過ぎてむせてしまう程だった。
「ゆっくり食べて。誰も取らないから」
私の食べる様子を見ながら隣の椅子に腰を下ろすチスイ。辛うじてその動きを意識の片隅には捉えながらも私の意識は目の前に広がる楽園に向かってしまっていた。

その日、私はたぶん初めてまともなベッドで1人で眠った。両親がいた頃、或いはあるのかもしれないけど少なくとも記憶には残っていない。
しかも驚いた事に部屋に1つしかなかったベッドを譲られた。益々チスイが考えている事が分からない。
料理を前にして頭を掠めた薬の類が使われた感覚もない。ベッドに潜ってこそいるが今でもその気になれば起きだして逃げる事が出来る。相変わらず枷を付けられるでも短刀を取り上げられるでもない。完全に自由だ。
チスイはベッドから少し離れたソファーで小さく寝息を立てている。その寝息は確かに寝ているもので偽装のようには感じられない。
もちろん、チスイは油断ならない使い手である事は間違いない。或いは今も私が動き出した途端に取り押さえてられても不思議ではない。
一体何を考えているんだろうか。

気が付いたら私の意識は深淵に底に落ちていた。意識が戻った私は出来る限り警戒して部屋の様子を確認する。相変わらず拘束されるわけでもなければ短刀も手元にある。肝心のチスイは昨晩眠っていたソファーで何かしらを読んでいるようだった。
部屋にチスイ以外の者がいる様子もないしチスイ自身も出会った時のような戦う為の服装をしているというわけでもない。完全にリラックスしている様子だ。
「あ、起きた?」
読んでいたものから顔を上げたチスイが私が起きた事に気が付く。まだしっかり身体を起こしたわけでもないのに気が付く辺りやっぱり只者ではない。私は起きた事を示すようにゆっくりと身体を起こした。
「こんなに寝ると思わなくて朝食冷めちゃったけど食べるといいよ」
チスイの言葉にテーブルを見ると昨日とは違う料理が並んでいた。チスイの言う通り確かに匂いは既に収まっているし昨晩とは違って量も控えめだ。それでも美味しそうに見える。
私はさしたる警戒もなくテーブルに座った。もし何かを仕掛けてくるなら既に昨晩の料理でしてくる。もちろん油断させる為という事も頭にはよぎったけれどこれまでのチスイの行動の全てが限りなく警戒心を低くさせていた。
曰く冷めてしまったという料理。確かに冷めてはいるがそれでも美味しい事に変わりはない。昨晩の料理がなければ間違いなくこれまでに食べたものの中で一番美味しいと言える。

「いくつか聞いてもいいかな?」
料理を半分程食べた頃、昨日と同じく隣の椅子に座ったチスイが口を開いた。昨日は結局私が食べている間何も話してこなかったし、今日もここまでずっとそうだった。満を持してという感じである。私はピタっと食べる手を止めてチスイの方を向いた。
「あぁ、ごめんね。食べながらでいいから。そんな堅い話じゃないし」
そう言って話をしようとしないチスイに私は意識をチスイに向けながらもゆっくりと食事を再開する。
「名前はなんていうの?」
私は食事をしながらなかなか踏み込んだ質問をしてくるなと感じた。しかもその声質からは無理やりにでも聞き出そうとするような凄みなんかは感じない。むしろそうであった方が気楽になるのだが意図が読めないだけにどう答えるべきか迷った。
「……昨日のあの煙、どこかで習ったの?」
考え込んでいるだけだったのだが私が黙秘したと勘違いしたらしくチスイは質問を変えてくる。これもまた突っ込んだ質問で本当は何を聞き出したいのか分からない。ここが帝国領であれば密偵の疑いとか対立した相手の情報を聞き出せないかとか色々な事をされたけどエオルゼアではこれが初めての事で、私がこうなったのも別にその手の疑いをかけられたからではない。
それからもいくつか質問しては私が考えている間に次に言ってしまうというやり取りが何往復か続く。チスイがせっかちなのか私が遅いのかと言われたら分からないが、結果としては全て黙秘という結果になってしまった。進んでいるのは私の食事だけである。
「じゃあ、そうだな……どこから来たの?エオルゼアの外?」
チスイも質問の種が尽きてきたのか少し考えてから次の質問を出す。黙っていては質問を変えられてしまうからと私はゆっくり、でも確実に食事の動作とは違う動きで頷いた。
私の頷きを見たチスイは何故か大きく頷き返すと満足そうな笑みを浮かべた。
「そっか。外から来たんだね。色々聞いちゃってごめんね。ゆっくり食べて」
チスイはそうして質問攻めを切り上げると席を立った。チスイは今の質問から何を知りたかったのだろう。そして何を知り得たのだろう。何かを知り得たからこそ切り上げたんだろうチスイに対し、私は何も分からないままで、残り少なくなった食事を進めながらもやり取りを思い出してみる。

その後チスイは何をするでもなく私が起きた時同様に何かを読み始めた。食事を終えた私に何かを言うでもない。私は何も出来ずにベッドに腰掛けていた。
何かが来るのを待っている?
ベッドに腰掛けてチスイの行動を考えた結果、出た答えがそれだった。
でも何を待っているのかと言われたら分からない。そもそもそれなら私を自由にしておく意味がない。チスイ以外に誰かがこの部屋に入ってきた事はないし、私を誰かに引き渡すつもりなら拘束しておいた方が都合が良いはずだ。
もちろん食事を与える意味もない。生かす為に最低限というならともかく与えられた食事は決してそんな次元の物では無かった。
分からない。結局私にはチスイが何を考えているのかを判断する材料が足りない。ふとしたタイミングでこちらの様子を伺ってくるから何かあるのだろうとは思うけど。
ただでさえ初めてと言ってもいい満足した食事の後、何も動けないので眠気を誘う。普段なら周囲を警戒して最低限しか眠らないのにここは比較的安全な宿屋の中というのも後押しする。
最初はその眠気に逆らおうとしたけれどうっつらうっつらとしている間に私はまぶたの重みに耐えられなくなった。

自然に目を覚ました時、明るくなったばかりだったはずの日差しはすっかり沈みかかっていた。ずいぶんと長い間眠ってしまっていたらしい。うっすら目を開き身体を少し動かすと座ったままだった私の肩からいつの間にかかけられていた薄手の布が落ちた。
薄暗くなった部屋ではあいも変わらずチスイが何かを読む姿があるだけで変化はない。
「ゆっくり寝てたね。起こしちゃ悪いと思って。でもいつ起きるか分からなくてご飯まだなんだ。これから作るよ」
私が目を覚ました事にチスイはすぐに気が付いて読んでいた物をおいて立ち上がる。ここに来てようやくチスイの言動から私は察した。
この人は私に合わせている?
私が寝ていたから料理を作らず、起きたらすぐに作るという。しかもここまで自分が食べている様子はない。もちろん私が見ていない所で食べてはいるんだろうけど、それはつまり私の為にわざわざ料理をしているという事になる。
一体何故?
「待って!」
私は部屋を出ていこうとするチスイを呼び止めるべく初めて声を上げた。チスイは足を止めると驚いたような表情を浮かべながら振り返った。
「なんでわざわざ?」
何をどう聞けば正解なのかは分からない。だから思った疑問をそのまま言葉にするしか私には手段が無かった。
部屋を静寂が包む。チスイは振り返りこそすれ、それ以上何を言うでもなく立ち尽くすだけだったがやがて何かの栓が抜けたように笑いだした。
「ごめん、ごめん。そうだよね、何も説明してなかったね」
チスイは自分の行動を振り返って私の質問の意味を理解したらしい。ようやく動き出してそれまで私に食事を出した時のようにテーブルの椅子に座った。
「座ってくれるかな?」
チスイの促しに私も従う。もうここまで来たらとことんチスイの思惑を知りたいという思いが強かった。
「ボクは君を助けたいと思っているんだ。昨日から今日にかけてゆっくりしてもらったのもその為だよ」
チスイの言葉は私の想像の斜め上をいく答えだった。でも確かにそう言われれば辻褄は合う。
ここに来てから私は今までにないくらいに食事も取らせてもらったしゆっくり寝かせてもらった。半日以上も安心して眠れたのはこの宿のお陰、ひいてはチスイのお陰である事は間違いない。
チスイが私を拘束するでもなくいたのもその為なら納得だ。拘束されていれば同じ時間を過ごしていても精神的にも肉体的にも休まるはずがない。
そこまで理解した上で尚、疑問は残る。何故私を助けるのか。
私の辿り着いた新しい疑問を察するようにチスイは続ける。
「助けたい理由は……良い言い方をすれば恩返し、かな」
チスイは私から目を逸らし虚空を見上げる。
「ボクも昔エオルゼアの外から来たんだ。そしてその時ある人に助けられた。そのおかげで今のボクがある。でもその人に直接恩返しは出来なくて、だから君を見た時に君を助ける事で恩返しの連鎖が生まれればと思ったんだ。いや、これは完全にボクのエゴだね。君を巻き込んでしまった」
チスイは言いながらどこか恥ずかしそうに微笑む。そこにはどこか自虐的な意味合いも感じ取れた。
「もし迷惑なら部屋から出てくれて構わないよ」
チスイはそう言うと目線を下げて俯いてしまう。その表情はとても嘘偽りの物とは思えない。何よりこの表情を消したいという不思議な感情に駆られた。こんな風に思ったのは初めて。これまで生きる為に生きてきた私にとって初めてと言っていい生きる為の目的。
ずっと不思議だった事がある。父母は私に逃げる事を最優先に考えるようにと説いた。逃げる事は恥ずかしい事ではないと繰り返した。では何故父母は私を捨てなかったのだろう。何も出来ない私は「逃げる」事を一番に考えれば間違いなく不要な存在だ。
結局最後までその矛盾を指摘する事は無かったけど今になって分かった気がする。
私はスッと立ち上がるとチスイの前に立った。チスイは私の動きの意味が分からなかったようで私を見上げる。
私は笑みを浮かべるとチスイの頬にそっと角を当てた。母が良くしてくれた角同士をすり合わせる動きを模したその動きはチスイに意味が通じたかどうかは分からない。でもチスイは何かを感じ取ったようにそっと私の背中に腕を回した。

「確かに受け取りました。依頼書の方よろしくお願いします」
冒険者ギルドでの窓口で納品の手続きを終わりを告げる言葉に私は小さく頭を下げて帰路につく。手には受け取った依頼書の束をしっかり持っていた。

私が知っていた世界はかなり狭い世界だったのだと思い知らされた。
チスイは私に本当に色々な事を教えてくれた。同時に私が父母から習った事は本当に逃げる事に特化していたのだと知る事になった。おそらくだけど父母もそれが精一杯であったのであろうと思う。チスイから色々な事を習い知っていく中で私はそう思うようになった。
チスイは不思議な人だ。まずとんでもなくバタバタと動き回っている。各地を飛び回っては冒険者として依頼を受けて解決し、職人として依頼の品を納品する。そしてその両方の経験から色々な人と面識がある。私が空腹を紛らわすべく無為に過ごしていた時間の何倍も動き回っている。
それにも関わらず私の事を決して無碍にしない。最低限の料理を教えてチスイが帰れない日も困らないようにしてくれたし、文字の読み書きも教わった。危険のない所には積極的に私を連れて行くしそこで私の容姿が目立つ事に気づき私がそれを気にする素振りを見せたら角が隠れるようなマスクも用意してくれた。
私の不慣れに付け込もうとした輩も言葉で、時には身体を張って守ってくれた。
「恩返し」という話は聞いた。だとしても文字通り赤の他人である私にここまでするのは驚きで、だからこそこの人を裏切ってはいけないと思うようになった。

私がチスイが作業場とした街中の一角に戻るとチスイは私が出た時と変わらず槌を振るっていた。今は冒険者としての依頼はなく、いくつか受けた職人としての依頼を片付けるつもりらしい。最初の頃はその日の予定を聞いていたけど最近は少しずつチスイの動きが分かるようになってきた。私はそのままチスイの作業が一区切りになるタイミングを見計らう。道具を握った時のチスイの集中力は凄く、いつもなら私が近づけば気づいてすぐに声をかけてくるのに、道具を握った時だけは気づかない事も多い。自然と私も集中した時のチスイには声をかけないようになった。
「あぁ、おかえり。納品は無事に出来た?」
私が何か出来る事はないかと探している間にチスイの方の作業の区切りがついたようで顔を上げた。私はコクリと頷いてそれに答える。チスイは笑みを浮かべると手にした槌を腰に収めた。
「明日、ウルダハの方で冒険者の方の仕事がある。今日のうちに移動して宿を取ろう」
私に説明しながら手早く作業道具を片付けて荷物をまとめ始めるチスイ。言われずとも私もそれをサポートする。
「……これを」
荷物をまとめ終えるとチスイがテレポを唱える前に冒険者ギルドから渡された依頼書の束を手渡した。
「新しい依頼書だね、ありがとう」
チスイはその場で私から受け取った依頼書に目を通していく。私はチスイの後ろに回ってその依頼書の内容も確認出来る位置に移動する。
この依頼書の束は基本的には誰でも受ける事が出来るものだ。それぞれの冒険者の技量に応じて難しい依頼は省かれるらしいけどチスイの束は明らかに分厚い。冒険者としてはもちろん職人としての依頼書も含まれている関係もあるのだが確認するだけでも一苦労だ。
チスイもその全てに目を通す事はない。ギルドもそれを理解しているのか大抵重要度の高い依頼を束の上にまとめてくれている。残りは余裕があればという案内に近い形なのだと教えてもらった。
パッと見た限りだけど今回の依頼書はどちらかと言えば職人向けの内容が多いように見えた。例の如く依頼書の束を上からある程度目を通したチスイは最後までは見る事なく目を通すのを止めてしまった。その表情はどこかもの悲しそうに見える。
「今すぐは受けるのは難しそうだね。このまま移動しようか」
「はい」
チスイが唱え始めたのを確認してから私もテレポを詠唱する。チスイについて移動するうちに私もテレポを使う事が出来ると分かってからは2度目以降に訪れる場所はテレポで移動するのが当たり前になった。詠唱を終えて再び目を開けるとウルダハのエーテライト広場に足を付けている。何度経験してもこの不思議な感覚には慣れない。
「ボク、マーケットに材料の補充に行ってくるから宿の方お願いね」
「分かりました」
手短にお互いの役割を分担してお互いに都市内エーテライトにアクセスするべくエーテライトに触れる。私は宿屋が併設されたクイックサンド前の都市内エーテライトに飛んだ。
ウルダハはやはり都市国家の中心という事もあってこれまでに何度も訪れている。クイックサンドでの宿「砂時計亭」のやりとりも慣れたものでスムーズに一部屋を取る事が出来た。
最低限の荷解きをしつつ、この後チスイがするだろう制作の準備を進めているうちにチスイが宿に入ってきた。
「ありがとう」
私が準備していた事に気づいてチスイはそうしてお礼を言う。私はペコリと頭を下げた。でもそこからの行動はいつもと違った。
私が出会った頃のチスイなら腰を落ち着ける事もなくすぐにでも受けている依頼の作業に取り掛かる。宿屋内で作業する事が難しければ作業できる場所を探しに行く。大体この2つのパターンしかない。でも最近のチスイは違う。宿屋備え付けの椅子に座りぼんやりと何かを考え始めてしまう。
私の把握している限り、今急ぎの依頼がないのも事実だ。でもそれなら急ぎの依頼を間に入れてしまうのがチスイである。砂時計亭には冒険者ギルドの窓口も併設されているのだから受けようと思えば簡単に受けられる。でもそれをしている様子はない。
そしてそういう時のチスイは他では見せないような不思議な顔をしている。
「ムクロ?」
「はい?」
「ち、近いよ?」
言われて私は自分がチスイの眼前まで迫っている事に気づいた。後2イルムでも近づいたら顔同士が触れてしまいそうなくらい近づいていた。
「ご、ごめんなさい」

私は慌てて距離を取る。私の行動が面白かったのか私が距離を取って再びチスイの顔を見た時にはチスイの表情から不可思議な意味合いは消えいつものチスイの表情に戻っている。
「一体、どうしたの?」
「えっと……大丈夫?」
チスイの問いにどう返して良いのか分からず私は問いで返してしまう。これでは何が何なんなのか分かるはずもない。ただ適切な言葉が出てこなかった。
それでもチスイは何かを察してくれたらしく笑みを浮かべそっと手を伸ばして私の頭に手をおいた。
「ムクロに心配させてちゃいけないね。ありがとう」
結局私にはチスイが何を考えているのかは分からない。ただ私の頭を撫でる手を受け入れる事しか出来ない。
最近ふと思う事がある、いつまでこうしている事が出来るのだろう。今のこの関係は一重にチスイの優しさに私が甘えただけの関係。もしチスイから一方的に今日でサヨナラと言われても私にはそれを拒否する事は出来ない。というよりしてはいけないと思う。ここまでしてくれた事だって十分すぎる事をしてもらったのだから。
「少し早いけどクイックサンドに降りて夕食にしようか。たまにはゆっくり食べよう」
チスイからの提案に私は頷いてチスイの後ろを付いて部屋を出た。

翌日、チスイは冒険者の服装で部屋から出ていった。今日の依頼相手は初めて依頼を受ける相手という事、ウルダハの商人の気質に合わせる為、私は連れて行かないと言われた。私はそれに従って部屋に残っている。
こういう時、私はチスイから教わった事の復習の時間に当てている。というよりそうするようにチスイに言われたのだ。
冒険者であるチスイに同行していると移動の時間も長く、そういう時にはやりにくい事を安全な部屋の中で行う。行うのはもっぱら読み書き。チスイいわく私は音に過敏らしくこうした部屋の中でやった方が良いと言われた。
幸いな事に読みの練習になるものは簡単に手に入る。冒険者ギルドの依頼書だ。チスイ宛の依頼書を読んで復習しながら、内容別に振り分けていく。これが私の読みの練習。
最初の頃は間違った振り分けをしてしまっていたけれど今ではチスイに教わったように振り分けが出来るようになってきた。
冒険者ギルドからの依頼は依頼の内容に合わせてある程度種類別に分類出来る。単純に敵を倒す事が目的の討伐任務、物の回収するのが目的の獲得任務、指定された地を回る巡回任務なんて冒険者ギルドがその内容に合わせて種類を決めているのだ。その種類を読み取り振り分けを行いながら依頼内容を読む。これをするだけでけっこうな時間が経っている。私の振り分けが遅いのとチスイ宛の依頼書は多いのがその理由である。
少しずつ束の量を減らしながらテーブルにいくつかの紙の山を作っていく。チスイが帰ってきたら答え合わせと改めて内容を確認してもらう意味でもこの山を見てもらわないといけない。最近は間違いも無くなってきたのでチスイはある程度確認した上で判断してくれるようになった。
今回はいつもの振り分けに合わせてもう1つ作業をしてみる。チスイが受けそうな依頼を優先して見せられるように工夫もしてみた。それが効果的なのかどうかは私には分からないけど、少しでもチスイの役に立ちたい。

今回も全部の束を振り分け終わった頃にはすっかり時間が経過していた。読み取れない文字はほとんどないし振り分けに関しても問題ないと思う。
振り分け終わった依頼書の山に僅かだけど達成感を感じる。これが少しでもチスイの為になっていたら良いななんて考えながら依頼書の山を見渡して1人頷いた。
ガチャッ
ドアの開く音に私がドアの方を向くと依頼を終えたらしいチスイが帰ってきた。
「おかえりなさい」
「……うん、ただいま」
チスイはいつになく気のない返事を返しながら部屋に入ってくる。ここ最近ボーッとしているタイミングが合ったのは見ていたけど、ここまで心ここにあらずという状態になったのは初めて見たと思う。
「どうしたの?」
私は思わず声をかける。そうしなければいけないように思う程にチスイの動きは怪しい。
「うん……いや、なんでもないよ」
チスイはやっぱり思った事を口にしようとはしない。自分の中で整理をつけるように首を2、3度横に振るといつもどおり振る舞おうと笑顔を見せる。
「今日は何をしていたの?」
「……文字を読む練習を」
努めていつも通りの声を出そうとするチスイに私は聞かれた事に答えるしかない。私が聞いた所でどうする事も出来ないのだからチスイから話そうとしない話を聞いた所でなのである。
「あぁ、依頼書振り分けてくれたんだね。ありがとう」
チスイはテーブルの上の振り分けた依頼書の山に気づいてそちらに歩み寄ると山の1つを手に取って確認する。
「うん、ちゃんと振り分けられてるね……あれ?」
パラパラと依頼書をめくっていたチスイの手が止まる。何か間違いがあったんだろうかと思ったがチスイは間違いを指摘するでもなく真剣な表情になって数枚依頼書を戻しては改めて何かを確認するようにして依頼書をめくっていく。
「これ、ムクロが並べ替えたの?もらった順番じゃないよね?」
私は思わずドキッとした。確かに並べ替えはしたけどそれは些細な事でいくらチスイでも気づくとは思わなかったし、気づかないで良いと思っていたからまさか指摘されるなんて思っていなかった。
「……今まで受けてた依頼に似ている奴を受けるのかなって思って……並べ替えました」
「これ全部並べ替えたの?」
「……ごめんなさい。私、余計なこと」
チスイはテーブルに置いたままの他の依頼書の山を確認しながら私に問う。私はチスイの顔を見る事が出来ないまま答えた。
「あぁ、ごめん。そうじゃないんだ。よく見てるなと思って。確かにこれボクが好む依頼順になってる」
チスイは次々と依頼書の山を確認しながら目を丸くしていた。てっきり怒られるんじゃないかと思った私はホッと胸を撫で下ろす。
「そっか……そっか」
チスイは依頼書を握りしめながら顔を伏せる。私からはその表情を読み取る事が出来ない。
「よし、決めた!!!」
私が表情を読み取ろうと少し屈んで顔を覗き込もうとするとチスイは勢いよく顔を上げた。真剣な瞳で私の方を見るとゆっくりとその距離を詰めてくる。

「ムクロ、もう君は1人でもやっていける。だからボクの所にいる必要はない」
突然だった。これまで何度も考えた事だったけどそれは本当に突然だった。
それはそうだ。私とチスイは全くの赤の他人。本当だったらチスイが私を助ける義理は一切ない。ここまでしてくれた事だって十分すぎる事をしてもらった。
拒否は出来ない。頭ではそう理解していたはずなのに気持ちがついて来ない。首を小さく動かす事さえ出来ずに立ち尽くすしか無かった。
チスイはそんな私の両手を取ると顔の前に持ち上げる。形的には両手を重ねて握手するような形になる。自然と私の顔もチスイを見上げる形になった。
「その上で、ボクからのお願いだ。ボクはこれからボクの為の会社を作る。ボクがやりたい事をやる為の会社。ムクロにその会社の社員第一号になってほしい」
チスイの行動の意味が理解出来なかった。そんなお願いをしなくても私はチスイについていくのに。
「でもいいかい?ムクロは自由だよ。他にやりたい事があるならそれで構わない。やりたい事が見つかったら辞めてくれて構わない。それまでの間だけでもお願い出来ないかな?ムクロが決めていいんだ」
私が……選ぶ。そんな事今までした事が合っただろうか。
両親に手を引かれてチスイに手を引かれてここまで来た。その手は確かに向こうからしっかり握られていてそこに私の意志はない。そうするしかなかった。
今私は自分で掴む手を選べる。掴まなくても良いと言う。でも私の思いはもう決まってる。
私はチスイに持ち上げられた手に力を入れてチスイの手を握り返した。

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